子どもの「読書」、どうする?(小学生まで)
今日はお子さんにとっての「読書」についてお話したいと思います。
(これは一講師の私見であることを最初にお断りしておきます)。
結論を最初に申し上げます。「ただ読ませるだけ」では、あまり効果は望めません。(詳細はのちほど)
私自身のことを申し上げますと、大学卒業後零細塾へ就職。11年教室長として勤めました。文系卒の人間でありながら、五教科七科目すべて教えました。それと同時に、自由な塾でしたので、未就学児の生徒さんの指導の難しさを知り、奮闘しておりました。その後は、中学受験ではトップ校を目指すご家庭なら誰でもご存知のS塾へ。そして、全国規模の大手塾へ。そんな中でも、一番こだわりをもって教えてきたのは、「国語」です。結局、小学生から高卒生まで指導しました。
そのため、「どの世代にどういう指導をすればよいのか」ということについて、試行錯誤もし、ある程度の答えにたどり着いたという自負があります。どうすれば成果が出るか、ということについても答えを用意しています。残念ながら、世の中では「読書」そして「読解力」ということになるといろいろな検証不能な説や、精神論ばかりが幅を利かせており、そうした状況に一石を投じたいと思っています。
さて、主に小学生のお子さんがいらっしゃる場合、いろいろなことでお悩みだと思います。
◆中学受験をさせるのか、させないのか。
◆中学受験するなら、国立か、公立か、私立か。
◆中学受験させないのならどうする?
◆ただでさえ毎日ものすごい勢いで成長していくお子さんを見守るのは大変なこと。それだけに、「ためになることが何なのか」見極めたい。
そのために、「読書」にまつわるいろいろな誤解に対する返答、そして成果の出る指導方針について、今日はお話したいと思っております。
目次
- 「読書をさせれば大丈夫」なのか
- こう「読ませれば」読解力は上がる
- まとめと参考図書
1.「読書をさせれば大丈夫」なのか
読書に関しては、多くの誤解と、極端な成功・失敗談ばかりが広まっています。
明確な答えがあるのか、ないのかといわれますと、「条件つきで」ある、とお答えしています。
本を読もうとしないお子さんに、「本を読みなさい」と言うことに効果がないというのはほとんどの保護者の方にとって、実感としてお分かりだと思います。大半のお子さんは、読みません。むしろ、「読め」といわれることに嫌気がさす…ということになります。
また、保護者の方から本を買い与えたり、推薦図書を借りてきて読ませたり…という方法も、「最後だけ読む」もしくは、最近のお子さんであれば「ネットで検索してあらすじだけ拝借する」などというように、楽な方法をいとも簡単に発見されてしまいます。
そういう意味において、「読書をすること」は、
ある程度自立して「読むことができる」お子さんにとっては効果があります。
□語彙を増やすことができます。
□小説では追体験することで、心理描写からより多くのことを読み取れるようになります。
□説明文・論説文では次第に論理展開も簡単なものは把握できるようになってきます。
□優れた思考や、表現を模倣できるようになります。
では、「読むことができる」とは、どういうことでしょうか?
実は、ここをしっかりとお分かりいただきたいのです。
独断で申し上げますと、
■本を与えておけば、一定時間は読書をしていられる
■極端な誤読をしない(特に小説で)
■難しすぎる本に対してちゃんと「どこが難しいか」説明できる
この三つを備えているかどうかが重要で、どれかに当てはまるお子さんなら、読書の負荷を少しずつかけていってもよいかもしれません。
しかし、それはあくまでも数少ない例外のお話。「うちの子にはちょっと…」とおっしゃる保護者の方へのメッセージ。実は、そんな場合を想定して、私は今この記事を書いています。そう。問題は、「読めないお子さんにどうアプローチするか」です。私も、塾業界に入りたてのころ、若いころは正直、失敗しました。的外れなアドバイスで「逃げた」ことも、今となってはあったと思います。しかし、長年国語・論文指導を続ける中で、そしていろいろな世代のお子さんの指導をする中で、ある程度「型」は見えてきました。ぜひ、参考にしていただければと思います。
端的に申し上げると、「効果を上げる読書の方法」それは、
保護者や、年長者がそばにいて「問い」と「フォロー」をしてあげること
やはり、ある程度の段階になるまでは、年長者が伴走者となる必要があります。それは、まだお子さんが読書の作法を会得していないからです。
読書をする一番の目的、それは情報を得ることであり、さらには「自分にないものの考え方」を得ることです。それには、気づかせてあげる必要がありますし、場合によっては理解するうえで障害となっていることを取り除く必要もあります。
例えば、ある動物が猟師に狙われる物語を読むとしましょう。物語において、お子さんは当然、「理不尽な死による別離」を、理解はできたとしても実感として受け止めることはできません。そして、それが登場人物へ与える影響については考えがまわらないでしょう。
また、そもそも「なぜ狩猟が必要なのか」という社会一般からの視点は、ほとんどのお子さんが持てないものでしょう。そういうものを、「問い」によって導き、ときには理解を助ける形で、読書を継続させる必要があるのです。
「この歳でも、一緒にやらなきゃだめなの…?」
そうおっしゃる保護者の方は多いですが、可能な限りそうすべきです。動物に例えてみますと、お子さんは餌を食べることはできても、目の前の餌を拾い上げることができないのです。まさに「急がば回れ」ということです。最初のうちは、粘り強く接してあげることがとても大切です。
それでは、次に、具体的に一緒に読む作業についてご説明します。
2.こう「読ませれば」読解力は上がる
実際に、「問い」と「フォロー」をしつつ読み進めるといっても、
読書の「主役」はお子さんです。注意しなければならないのは、まさにそこです。
「おい、読むぞ!」という調子でスタートし、
「年長者主導」で読むということになると、効果は半減、どころかマイナスにすらなります。
あくまでも主役はお子さんです。すると、読書に向かうタイミングとしては、
◎お子さんの「ヒマそうなときを狙う」のがベスト
です。もちろん、それは理想ですし、保護者の方も暇であることはまれだと思いますが、こういうスタンスが大切、ということです。忙しいと、どうしても「大人の側の事情で」ことを運んでしまいがちですが、それは基本的にNGです。お子さんを「いい気にさせる」という工夫が必要になってきます。もちろん、だらだらと遊びを続けているようだったら、中断させてもよいかもしれません。食事どきの後や、寝る支度が済んだところなど、何か区切りになるタイミングでもよいでしょう。
さて、それでは、お子さんと一緒に本を読む段階になったとしましょう。このとき、やはり慣れていないお子さんですと、読み方(発音、ことばの区切りなど)に不安があります。
そこで、
◎大人が先に読み、後でついてくるように読ませる
これが、音読に自信をつける第一歩です。一緒に読むのではなく、大人が先に読み、お子さんは後から続くという形です。できれば、一段落程度を目安にし、ゆっくりしたスピードで続けましょう。
可能な限り、「完コピ」するように言っておくことも大切です。
ここでの目的は、発音やことばの区切り方について、それとなくお子さんに理解してもらい、それをまねることで「ことばのリズムを作る」ことです。これは、将来的に黙読のスピードにも影響してくるとても重要なことです。
ことばのリズムというと抽象的ですが、お子さんの頭の中に、「単語」と「文」という概念が自然と芽生える、そのサポートです。それがクリアできれば、単語と単語の間にある助詞などの働きも、自然と理解していきます。
逆にこうした経験をしていないと、例えば中学生ぐらいになったときに文法で躓きます。中学生になると「単語」の分類をするようになるのですが、それがまったく理解できなくなります。単語の「機能」「意味」を説明しても分からないのです。それは、文と単語・文節といったものが根本的に分けられていないのが原因です。
すると、日常会話でも時制がめちゃめちゃだったり、主語と述語を対応させることができなかったり、ひどくなるとセンテンスがまともに作れなかったり…こうなってしまうと、その矯正をするだけで手いっぱい。当然、他の科目の理解度も下がっていきます。そして気が付いたら高校受験…などということにもなりかねません。実際に、私もそういうお子さんと接してきたことがあります。全員高校受験はクリアできましたが、そのお子さんのポテンシャルを全て引き出すことはできなかったように思っています。
◎「問い」に専念する。「解説」しすぎない。
お子さんの伴走者としてお願いしておきながら、大変心苦しいのですが、大人は「解説者」ではないのです。主役はお子さんですから、まずは「問い」を投げかけてほしいのです。
少し話がそれてしまいますが、「読解力」とは、大きく分けて次の5つの要素からなっています。(私見ですが、これまでこの5つに絞って指導した生徒さんは、例外なく国語を得意科目にすることができました)
◇「読む能力」
◇「理解する能力」
◇「問いに答える能力」
※上記3つについては、お分かりになると思います。
◇「『予測』する能力」…いくつかのやり取りをする中で、文章がこの先どうなるかを予測する能力です。例えば、「きょうは二つのことを学びましょう」とくれば、「何と何かな?」という風にアンテナを張るのが普通です。しかし、読書に親しんでいないお子さんですと、これが予測できていない場合もあります。一つ目の内容で脱線したり、二つ目の内容に文章上どこから入ったのか全く無関心であったりするわけです。これが少し高度な文章になれば、「アメリカでは」という表記から即座に「日本が来るな」という風に予測し、双方の差異と共通点に焦点を当てればよい、となるわけですね。
◇「(読み・書きとも)表現する能力」…「問いに答える能力」と被る部分もありますが、もっと「自分の考えを深める能力」と申し上げたほうがよいでしょう。大きくは「要約する能力」か「自分の意見を述べる能力」の二つに大別されます。
「問い」によっても、理解度は大きく異なってきます。
例えば、単に「登場人物は何人?」「主人公はだれ?」といった、答えが一つに決まるような問いかけですと、簡単に答えられてしまいますし、あまり理解が深まりません。
そこで、次に挙げるような形にアレンジしてみると、楽しめますし、「予測」や「表現」を引き出すことができます。
「登場人物のうち、A子はだれが好きだと思う?」
「主人公は、今どんなことで悩んでいるんだろうね?」
「C君のようなこと、前になかったっけ?」
といった具合です。特に、文章を自分の体験に投影させることはとても大事です。
文章が終わりに差し掛かったら、
「この文章についてどう思った?」(これは簡単なところから、徐々に掘り下げる)
「このお話を、短くまとめて、お友達に紹介してみない?」
という形で、意見・要約までできれば読書としてはとても良いものになります。
こうしたことは、あくまで「お子さんが主役」であるという前提を守っていただければ自然なことだとお分かりいただけると思います。しかし、保護者の方はお忙しいことがほとんどですし、お子さんの文章への興味が見られないなど、なかなか思うようにいかず、「解説型」になってしまうことはままあります。その場合は、それで大丈夫です。あまり完璧であることを求めないことも重要です。
※ただ、せっかく「解説」に終始してしまうのであれば、小学生には少し難しいかもしれませんが、「調べ学習」へシフトしてみるのもよいです。例えば「地球温暖化」のテーマについての文章で、ある程度解説をしたが、お子さんが興味を示さない場合。スマートフォンでもタブレットでも結構ですので、「じゃあ外国の気温調べてみようか!?」などとお話しになると、気分転換にもなりますし、テキストから「調べる」という作業が自然なものとなります。それをノートにまとめる、などと作業を続けられると、もうほっておいても大丈夫です(笑)。
むろん、ここで申し上げたことはあくまでも「一時期だけ」伴走者としてお願いすることです。理想は、一日も早くお子さんに自立してもらい、自分でどんどん本が読めるようにすることです。
ですから、時には一緒に図書館へ行ってみたり、保護者の方の好きな本の紹介をしていただいたり。最も大切なことは、いろいろな「対話」をなさってください。「お説教」でもなければお子さんが一人でしゃべるのを「聞き流す」のでもなく、「対話」です。
そういった意味で、実は「問い」がとても大切なのだ、とお分かりいただければと思います。
3.まとめと参考図書
お子さんの読書をテーマとしてお話してまいりました。「読書」は、害にはもちろんなりません。しかし、その効果を生むには、特に読書が習慣になっていないお子さんにとっては、「伴走者として」保護者の方を含め、大人が少しサポートする必要があります。
特に「問い」を投げかけること。「対話」をしていくことです。
参考図書としては、学校でも推薦図書などがあると思いますので、そうしたもので構いませんし、お子さんがタイトルなどを見て「読んでみたい」とおっしゃる本が一番です。
ここではいくつか、ご紹介いたします。
◎『10分で読めるお話』シリーズ
※各学年のものがあります
このシリーズをお勧めする理由としては、「短いこと」です。これですと保護者の方のご負担にもなりにくいですし、お子さんもさくさく読めてよいです。何と言っても「要約」がしやすいことがメリットとして一番大きいです。
◎『なぜ?どうして?科学のお話』シリーズ
※各学年のものがあります
このシリーズは、「説明文」の導入に最適です。とはいえ、テーマも身近なものがほとんどで、すぐに実感を持った「対話」をするのにうってつけの素材でしょう。長さもとても短くコンパクトです。
少しテーマとしては重くなりますが、いろいろな小説へ進むときに、「生と死」というものについては、ある程度の感情のフォーマットと、考え方を持っておいたほうがよいでしょう。そのうえで、この本は大変おすすめです。
最後になりますが、どうぞ保護者の方も、読書を通してお楽しみいただきたいと思います。また、お子さんがご自分とは違う解釈をしたり、意外な発見をしてくれたりした場合、大いにほめてあげてください。そのことによって、本がみなさまにお役に立つとよいと思っております。